これから出てくる
「21世紀のゾンビ」のことを話す!!
 
こくしゅう
「ながい克酬先生」のこと・・・
スバル元首様
戦時中、8ヶ月頃
スバル元首様と
ファンクラブスタッフの皆さん
高松秀郎氏とのトーク形式で
「国際グラフ」に掲載される
スバル元首様 7歳
スバル元首様 4歳
・お母様の「ミドリさん」は産後の肥立ちがよくなく、


ながい克酬先生が1歳の時に亡くな
られました。



 その直後は、長女の「恵子さん」が親代わりになって


育児をして下さったようです。


・幼少期になって「愛媛県松山市」に越され、

叔母と祖母の手によって養育されました。


・1984年(昭和59年)


「ながい克酬先生」が
47歳の時、先生の首の

上に
80kg以上の男性が落ちてきて

「バキーン」という音がされ、
頸骨の5番と

6番の間の筋が4分の3切れてしまわれました。


 これは、ながい克酬先生が野球をされていて、

走塁をされ、スベリ込んで起き上がろうと

した時のことです。

 
実は「ながい克酬先生」は走るのが速くて、

選球眼がよく「イチロー」のように、ピッチャーが

投げてくるボールを右へでも、左へでも

自由に打ち分けることが出来る技を

もたれていたのです。

 その日も、2番バッターで4打数3安打で1塁に

出られたのです。3番バッターがライト前ヒットを

打ったので、1塁から3塁に走塁を
されてセーフでした。

 ところが、先生が起き上がろうとした時、真上にライトからの返球が

来て、サードの選手が飛び上がってキャッチをしたのです。

その後、先生の首の上に落ちてきたわけです。


  すぐに「ながい克酬先生」は救急病院であった「日赤病院」に運ばれ

て、即入院となられました。

その時、先生の奥様(和子さん)は、医師から
「よくこの人助かって

いますねぇ!」と言われたそうです。

 
15日間入院されてから、医師に呼ばれ「レントゲンの結果『筋』が

くっつきそうも無いので手術しかありません!!」とハッキリと言われ

「手術しなければ、3年位で神経がボロボロになって植物人間になります

!! 又、追突事故をされたら命が危ないですよ」とまで言われました。

それでも、先生は手術には応じられなかったので「15日だけ
入院させて

あげましょう」と医師に言われ、結局手術をされることなく
退院をされた

のです。

  ところが、約一ヶ月後、先生が車で信号待ちをされていた時に、突如

ドーンといって、一瞬の内に後続車に追突をされたのです。

一時は
意識朦朧となられたそうですが、とりあえず近くの病院へとお願い

して、
そこで応急処置をしてもらわれました。

 その際、医師がレントゲン写真を見て「これはひどいのぉ!!」と言っ

て驚いたので「ながい克酬先生」は「これは、今日の事故のせいじゃない

のです!」と説明をされました。


  以前に、日赤の医師から「追突されたら、命はないですよ!」と言わ

れていたので、先生は心配になられて愛媛大学附属病院に行かれて診察を

受けられたのですが、やはり2人の医師がレントゲン写真(8枚)
を見て

首を傾ける位でした。


 しかし、診察の結果では、先生の症状は良好だったものですから医師


手当ての仕様もなく「何かあれば、来て下さい!」と言うより仕方がなか

ったようでした。その後「50歳」の時、再度検診を受けられた時には、

なんと首の骨が真っすぐに戻っていたそうです。

これも「神々様の奇蹟」だとしか説明の仕様がありません!!



1987年(昭和62年)秋


 美容カットコンクールに於いて30年間
の念願が叶い、全国優勝をされ

ました。この間の「コンクールに打ち込まれる努力は人並み以上で、他の

人では到底無理ではないか」と言わ
れる位であられたそうです。

 この時のお歳が「50歳」だったのです。

   
   スバル元首様の  美容技術コンテスト   美容技術コンテスト 優勝!!
        理容時代     日本一時代


・1991年(平成3年)9月

 伊勢神宮へお参りに行く途中、突然
「わたしは神です!」と中年の女性

の声が頭の中でハッキリと聞こえ
「これからは、私の言う通りにしなさい

!!」と命令されたのです。

この時「54歳」だったそうです。

  その後、男の声の神様が毎日スケジュールを出され、修業が始まられ

のです。その神様から「お前は、大勢の中から選ばれたのじゃ!!

これからお前は、この悪い地球を救う仕事をしていく救世主となる
のじゃ

!」と男神様から使命を与えられたのです。


・1992年(平成4年)

 「AOKヘキサーを立ち上げよ!!」と指示され、松山の自宅に実現さ

せられたそうです。この時、親戚の寺の
坊さんや周りの者や兄弟にまで

反対され「克ちゃんは、頭がおかしい! 精神病院に入れた方がいいん

じゃないか!」とまで言われたのですが、息子さんであられる「克彦様」

が「親父のことをとやかく言うな! 気に入らんのなら親戚付き合いを

切ってもえぇ!!」と克酬先生を
かばわれたそうです。


・1994年(平成6年)〜2004年(平成16年)


 「AOKヘキサー」を立ち上げられたことにより、まず「東京の
ヤクザ

稲川元組長」・「神戸のヤクザ
山口組 組長」等430通・23ページに

渡る長文を送り付けられました。

文面の中で「必ずお前等
を潰してしまう!!」という風な内容を入れられ

ていたので、1週間もしないうちに、松山のヤクザが事務所へ「イチャモ

ン」をつけに押しかけてきたり、家のプロパンガスのホースを外してガス


を出しっぱなしに
されたり、車のタイヤに穴をあけてパンクをさせられた

り、車に傷を付けられたり、車の底に発信機を付けられたり、事務所の

鍵穴に
楊枝詰め込まれたり「ながい克酬先生」が何処かに行こうとされ

ると必ず尾行
が付いたり、又、中の「神々様」が「ここの喫茶店に入ろう

!」と言われた所には必ずヤクザ風の男が5〜6人待ち伏せしていて、

必ず飲み物か食べ物に猛毒を入れられたりされていたのです。

それでも「ながい克酬先生」の中の神々様は「飲んでいい」・「食べてい

い」と言われたので、先生はその通りにされていらっしゃいました。

しかし、口に入れた瞬間に口びるが痺れられたそうで「あっ、やはり毒が

入っているのだな!」と分かられたそうです。

「ながい克酬先生」が車で走っていらっしゃると、急に真横に大型トレー

ラーが、先生の車に寄りかかるように接近してきて、左へ
ざるを得な

いように、事故をさせるように迫ってきたり、横から、後ろ
から、前から

ビームランプを点けたまま突進されたこともあられ、
危うく難を逃れて

こられました。又、ピストルを胸元に突きつけられたり、元ボクサーが

殴りかかってきたり、ドスで突きかかってきたりも
されてこられました。

「ながい克酬先生」は、日本一周に於いて「悪」を焙り出す旅もされ、

その時にも前記したようなことが多々あられたそうです。

  又、AOKの宣伝にテレビ局や新聞社に申し込まれても、訳の分から

ない理由で断られ続けました。

 
何故、このように危険な目や、嫌な目に合ってこられたかというと先述

した23ページの手紙に「お前等を必ず潰す!!」と書かれたので


「ながい克酬先生」を潰せば、ヤツ等は健在でおれる!!という理由が

あったからなのです。

 
このような事は「ながい克酬先生が、57歳〜67歳まで」続いたので

す。この間、先生が命拾いをされたのが145回、その内「毒殺」されか

かったのが83回もあられました!!

しかし「神々様」は「ながい克酬先生を守ってくれていたのです!!」

 一般的には、到底考えられないですよね!!



1999年(平成11年)

 中の神様「タヌマ本体様」の指示により
「神々が与えた使命」という

本を代筆させられたそうです。

今現在、多くの人々に読まれております。

 又、先述の「克彦様」のアドバイスにより「ホームページ」を克彦様に

立ち上げて頂かれ、
こちらの方も数多くの人々に読まれております。


・2003年(平成15年)

 
雑誌取材を受けられ、世間に

スバル
元首様の実績が広がって

いかれる。



・2003年(平成15年)秋

 悩みや難問を解決して頂いた多くの


ファンや、先生の実績や評判を聞き、


支援されたいというファンが集い、

ファンクラブ
 スバルズ   ファイヤー スピリッツ
Subaru’s Fire Spirit」が結成されました。


・2003年(平成15年)11月29日


 今までの実績や今後のご活躍が、2年に渡る厳選なる審査の結果、


審査員満場一致で認められ、日本文化振興会より日本中で半期にたった


一人しか選ばれない「社会文化功労賞」を受賞されました。


  
      福井「ヴィクトリア迎賓館」にて授賞式が執り行われる        賞状と勲章


・2003年(平成15年)12月4日

  愛媛県松山「ローズハウス」にて

社会文化功労賞受賞祝賀パーティーが

開催され、ながい
先生に処置をして頂き

善くして頂いた方々、他、沢山の方が

集まられました。



2004年(平成16年)10月

 実は「ながい克酬先生」は、社員
から「車の免許を取られたら如何で


しょうか!」と薦められ、福井自動車
学校に行かれ入校をされました。

その時の先生の年齢は
「67歳」でした。先生が入校されると、70歳の

方が高齢者講習に来ている有様でした。


「ながい克酬先生」は、毎回キチンと教習所の先生方にも挨拶をされ


「受講態度は抜群でした」と教習所の方は言われておりました。


ですから、
すぐに自動車学校では有名人となられ、周りの生徒からも


大変慕われておられました。


普通自動車の筆記試験一発合格!!

実技も一発合格!! で

「普通自動車免許」
を取得されました。


 そのすぐ後に、
大型自動車にも挑戦され、これも実技だけでしたが

一発合格をされました。


その年の暮れには、福井自動車学校の田中副校長にお礼状と写真を入れら

れて「来年春(4月と5月)に普通自動二輪と大型自動二輪の免許を取


せてもらいに
きますので!!」と予約の手紙を送られました。



2005年(平成17年)4月

「ながい克酬先生」は、福井自動車
学校に行かれ、田中副校長に「昨年、

お願いした自動二輪の教習を受け
に来ました」と話をすると手を横に振っ


て「受けない方がいいですよ!!」
と再三反対をされました。

それでも先生は、無理に強くお願いをされ入校テストをパスされました。


 しかし、予約時間のスケジュールの件で、学校側の対応が悪かった理由

で「ながい克酬先生」から入校を断り、福井で一番大きくて厳しい
自動車

学校である「新田塚自動車学校」に入校され、普通自動二輪の教習を受け

られて免許を取得されました。

 次に、すぐ大型自動二輪にも
挑戦をされ、一発で合格されて免許を取得

されたのです。この時も「ながい克酬先生」の受講態度はとても良かった

ので、学校内で一躍有名になっておられました。


「ながい克酬先生」は、免許取得後すぐに「ヤマハドラッグスター

1100cc」スバルUくんと「BMW R1200CL」スバルVくん

の大型バイクを購入され、現在も視察探索で乗られておられます。


  
 
スバルくん(ヤマハドラッグスター1100cc) 69歳の時 

            
           スバルTくん(カワサキZZR400) 71歳の時

  
   スバルUくん(ヤマハドラッグスター1100cc) 72歳の時

        
          スバルVくん(BMW R1200CL) 70歳の時


・2005年(平成17年)

 もう一つの「奇蹟」があります。

それは「ながい克酬先生」が突如左肩がうずかれ、腕が上がらなくなられ

たので、福井市の先生の宿舎の近くにある整形外科に行かれ
レントゲンを


撮ってもらわれました。その際、先生は医師に「20年位前に、首に人が


落ちてきて、5番と6番の『筋』が殆んど切れてしまったのです!」と


説明をされ、肩の写真と併せて首の写真も撮って頂かれました。


 首の写真を見た医師は「これは、奇蹟ですねぇ!6番
の上に5番の骨が

うまくのっかっていますよ!」と説明をされました。


  しかし、腕の方は写真の写りに問題があり、医師の紹介で県立病院に


行かれ、MRI
を撮ってもらわれたのです。診察の結果「肩の筋が殆んど


破れていて、近い内に腕が上がらなくなりブラブラ状態になりますよ」と

宣告されました。その時「ながい克酬先生」は医師から手術の方法などを

しっかりと聞いて帰られました。

「ながい克酬先生」が「中の神々様」に聞いてみられたところ「神の奇蹟

で治せますよ!!」と言われたので、先生はすぐに会社のヒューチャー

先生にお願いして「神々様の奇蹟による手術」を受けられました。

ヒューチャー先生から「一日だけ安静にして下さい!」と言われたもので

すから、一日は安静にされておられましたが、翌日からは、大型
バイクで

早速、走り回られ、その日より連日「視察探索」に走っておられ
ます。

 そして、今では「ながい克酬先生」の肩の痛みはスッカリ取れ、腕も

真っすぐに上に上がるよう
になられました。

「神々様の奇蹟」は、本当にスゴイです!!



2007年(平成19年)11月

福井から松山、そして、九州の佐賀、兵庫、滋賀にまで、

各支社への激励訪問に大型バイクを走らせ、向かって
下さいました。

その時の走行距離は、約2000kmであられました。

普通70歳の人が、しかも免許を取得して間もない中で、バイクでの


長距離走行など、誰もなし得ることはできないですね。

これも「奇蹟」としか言えません!!

   
     スバル元首様が未来にお乗り下さるバイク「ゴールドウィング」

ながい克酬先生は、各自がオーナー意識を持って自立し、各自の与えて

頂いた「使命」を発揮すべく「素直・まっすぐ・感謝心及び反省心及び

忠誠心」を継続するように社員教育にも力をそそがれておられます。

また会社の歴史の内容は、全てながい克酬先生が手掛けておられ

ます。
日々、お忙しく「ながい克酬先生にお会いさせて頂きたい!!

お話を聞かせて頂きたい!!」と遠方からも来られたり、処置客への

ご対応等、
沢山の事をなさって下さり、現在に至ります。





ながい克酬先生の処置対応実績の一部>

突然予約もなく、脳梗塞で集中治療室に入院されていた父親をもつ息子

さんから「父親を助けたい!!」と松山から福井へ着の身着のままで駆け

つけた相談客
の対応にも即、自らのご予定を変更され、処置対応下さいま

した。

その結果、父親は翌日には話し始め、食事も歩行も出来るようになりまし

た。



・相続争いから兄弟間で「裁判」になり、多額のお金を請求されるという

相談客からの処置対応に入られ、次回の裁判時での対応、告訴人
への対応

等までも細かくご対応下さり、一ヶ月もたたず、次回の裁判も行われる

までに告訴取り下げとなり、争いに終止符がうたれました。



何度も「受験」に落ちた娘を持つ親達の処置対応も数々こなされ集中力

が付いた、緊張しなくなったと好評で見事合格されました。



・自信を失う出来事があってから「対人恐怖症・引きこもり」になって

いた高校生を処置下さり、その後、間もなく自らが計画し「四国八十八


所参り歩き遍路」を実行されたり、大学受験の準備もされたりと、元の

活発さを取り戻されました。





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 Copyright 2009 AOK ながい克酬先生のすべて

スバル元首ながい克酬先生の
       生い立ちとプロフィール

1937年(昭和12年)5月11日

東京都葛飾区に出生され、姉2人の下に

「永井家の長男」となられました。


生まれた時、非常に元気で勢いの強い


お子さんだったようです。